沖縄の旅 最終日は帰りのフライト時間もあって朝から慌しく荷物の整理、そして朝食、出発 という具合に進めたが、出発前のホテ
ルロイヤルオリオン
での朝食は4日間の間で最も美味しい朝食でありました。ごちそう様でした。
さて、本来 昨日の予定であった『ひめゆりの塔』が本日の一つ目の行き先であります。カーナビに案内されて向かったが、『ひ
めゆりの塔』が目の前の小高い丘の上に見えた途端、途中で道が無くなってしまい右往左往していると、丁度地元の農村の
青年を見かけたので道を尋ねた。彼は「昨日からもう6人目だけど どうしてこっちの道に来るの?国道に看板出てたでしょう」
と言われ、気が付きました。(きっとみんなカーナビで来ているので途中の道を考えていないのだ)と。と同時に(我々観光客は
何処まで本気で慰霊の意を以ってひめゆりヘ参ろうとしているのか、面白半分で来ていないか)と。正に頭を”ガツン”
とやられた気がしました。 そして到着。時間に少し余裕があったので売店「優美堂」で少し時間を過ごしてから、
『ひめゆりの塔』入り口で献花用の花を三つ買って門をくぐりました。今回の沖縄の旅で私がどうしても参りたかった所。
ここ『ひめゆりの塔』 念願叶った一瞬でした。門をとおりすぐに碑が見えてきました。不思議と(これがひめゆりの塔か)
という思い以外の気持ちは湧いてこなかった。それはきっとあまりにも悲惨な最期を遂げられた若き乙女達とそして
彼女達と命を共にして逝った方達の重みに対して”中途半端な気持ちは必要無い”と思えたからでしょう。
それにしてもジリジリと照りつける太陽の熱さがまるで威圧しているかのように感じたことを覚えています。あの8月15日の朝も
ここ沖縄はこのように暑い朝だったのだろうか。
『ひめゆりの塔』に関しては過去にも様々なメディアや書物等によって紹介されているので その名前はおそらく日本の成人ならば知
らない人はいないであろうと思います。但し、僅か六十数年前に沖縄で何があったのかを正確に知る人は さほど多くはないのか
もしれません。このホームページを作成している私自身もその一人であります。従ってこの項では私があれこれ語るより
正確な資料を掲載した方が良いとの思いから個人的なコメントは最小限にしました。
以下は(フリー百貨ウィキペディア)からの抜粋でありますが一読してみてください。
《沖縄戦末期の激しい戦闘でほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑。現在の沖縄県糸満市にある。
1946年4月7日除幕。慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなむ。
「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一女子高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名
「白百合」とを組み合わせた言葉で、もとは「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。植物の
ヒメユリとは関係がない。「塔」と名はついているが、実物は高さ数十センチメートルでそれほど高くはない。これは、
終戦直後の物資難な時代に建立された事と、アメリカ軍統治下に建立されたという事情によるものである。また、
この種の慰霊碑は、沖縄には非常に多くあり、ひめゆりの塔はそれらのうちで一番古いものではない(最古のものは、
ひめゆりの塔と同じく金城夫妻らが米須霊域に建てた「魂魄の塔」(こんぱくのとう)であるとされている)。しかし、
1949年に石野径一郎によって碑に関する逸話が小説化されると、直後に戯曲化され、さらに同名の映画がつくられ
有名となった。沖縄戦の過酷さ、悲惨さを象徴するものとして、現在でも参拝する人が絶えない。ひめゆりの塔から
外科壕跡を挟んだ奥には慰霊碑(納骨堂)が建てられており、さらに、その奥には生存者の手記や従軍の様子など
を展示した「ひめゆり平和祈念資料館」がある。また、敷地内や隣地には沖縄戦殉職医療人の碑など複数の慰霊碑
や塔が建てられている。》
資料館内に入り順路に従って進み、私達は壕の模型が作られている部屋に辿り着きました。そしてそこで、ひめゆりの当時の模様を聞か
せてくれる女性に会いました。
私は長男の手を引いていたのでゆっくり聞くことが出来ませんでしたが、長女と二男は話を聞けたと思います。
しかし最近では、ひめゆりに限らず彼女のように当時の模様を話してくれる方が少なくなりました。これは日本中同じでしょう。
よくある戦記物の書物や(一応)正式とされる歴史書のようなものは当時、軍にあっても階級が上の人や直接戦闘には関わら
なかった人の残したものが多く、最先端で命を賭して闘った人や戦火に逃げ惑う経験をされた方達の記憶は封印されたまま
のものが多いのではないか、というのが私の所感です。現代の若者が本当に知らなければならないのはこうした
『生きた言霊』である筈だとも思います。ここで出会った彼女は話す事はもとより思い出すだけでも辛い事である筈なのに
(かつてこの地で戦争があった事さえ知らない)二男に対して切々とそして静かに語っていました。
ひめゆりに限らず、また沖縄に限らず、こうした慰霊の場で、もし彼女のような語り部さんに会う事が出来た方は本当にまじめに聞いて
いただきたいと思います。館内を拝観している途中長男の「ウンチ」の言葉で二人先に出てトイレをさせてから家族が
出てくるのを待つ事十数分。その間、私は蚊に3箇所刺されました。もちろん痒いのですが、その痒さがなぜか、心地よかった
のが今でも不思議です。
『ひめゆりの塔』を名残惜しみつつ後にして次に向かうは沖縄モノレール『ユイレール』
というわけであるが、とりあえず荷物を空港に預け、レンタカーを返して身軽になって行こう!という事で
那覇空港近くのガソリンスタンドで満タンにしたのだが、、、ここで少しおかしな事というか不思議な事に遭遇しました。
給油したスタンドの人に”レギュラーにしますか?ハイオクにしますか?”と聞かれ「レギュラー」と答えたら”ただいまキャンペーン中で
レギュラーと同じ値段なのでハイオクを入れてくれませんか”と言われたのです。私は車がレギュラー仕様なので「いいえ レギュラー
でいいです」と答え、希望どおりレギュラーを入れてもらったのですが、こんな事があるのですネ。
4日間の旅を支えてくれたジャパンレンタカー店で車の点検後、「異常なし」をもらい、初日に那覇空港からここまで送迎してくれた
マイクロバスに乗って那覇空港に到着。《ジャパレンさんありがとう》予定通り手荷物を一時預かり所に預け、目指すは『ユイレール乗り場』
長男は乗り物が大好きなので、このあたりから”乗り物に乗ってどこかに行く”という事を察知し、ガゼン元気になってきた。
CDを聞きながら「一人おしゃべり」「突然の多動」「ペシペシ」などなど、もう全開状態。旅行中で一番楽しそうな顔をしていた。
もしかしたら長男の旅行は本当はここから始まったのかもしれない。。。
ホームに入ってから数分後に電車が来て早速乗り込みましたが、座るところナシ。
しかもエアコンは効いているけれど暑い。身動きもとれず我慢しながらやっと到着した『おもろまち駅』目指すは ”DFSギャラリア”
長女が最も楽しみにしていたのがここでの「お買い物」。ここDFSギャラリアは国内移動の客であっても沖縄県外に出る客であれば
免税品が購入できる 「国内唯一」 の免税ショップということで年頃の長女が楽しみにしていたのですネ。
まずはお腹が空いたので食べる事になり、DFS内を奥へ奥ヘと進み『Food Colosseum』へ向かいました。店に繋がる専用エスカレーターを
上るともうそこは活気に溢れるコロシアムで、ある種”異次元空間”にも思えます。入り口でバーコードのカードを各人が手渡され、
店内のオーダーは各コーナーでそのカードを見せて注文するというスタイル。「サラダ」「中華」「ピザ」「麺類」「ハンバーガー」「デザート」
「アルコール」まで何でもあります。ちなみに我家はスパゲティーとハンバーガーが主だったかな。
そしてそして、食事が終わったらイヨイヨ長女のお買い物、という事で男性陣は再び入り口の「カルティエモニュメント」前で待つ事になりました。
暇を持て余した二男は目の前にある大きな石のモニュメントが座っている池の小石を並べて遊びはじめ、次第に周りの小さい子達も数人参加
し始めた時、警備のお兄さんがやってきて 「水が飛び散ってすべるから危ないよ 止めなさい」 と注意をされてしまいました。ザンネン!
イヤ 黙って見ていた私が一番悪いのです。ハンセィ!
しばらくしてニコニコ顔の長女とそれとは対照的な表情のママ、そしてニンマリの祖母が戻ってきて ムフフ。
再び那覇空港へ戻ったのは16時を少し過ぎた頃だったかな。一時預かってもらっていた手荷物を受け取り、
搭乗手続きをして出発ロビーヘ向かう途中で少し買い物(美味しかった海ぶどうなど)をし、
長女は先程のお買い物免税品をコーナーで受け取りました。出発ロビーに着いたら今から乗る飛行機が窓の向こうに見えたので記念にと撮ったのがこの一枚です。
飛行機は那覇空港を17:30に発ち、セントレアに着いたのは19:35。上空から見る地元の町並みはもうすっかり夜になっており夜景がとても美しかったナ。
機内での出来事ですが、もう帰りたい思いでいっぱいの長男は飛行機が地切りしてしばらくすると 「トウチャーク」と大声を出し、私達を笑わせました。
よほど帰りたかったのかな?。3泊4日の沖縄の旅は終わりましたが、一言では表現できないくらいの感慨を持ちました。沖縄という県、オキナワという観光リゾート、
琉球という古来の国、そして米軍の重要拠点基地であるOKINAWA。いろいろな沖縄が混在している都市沖縄県ですが、それだけに様々な問題も同時に
抱え持っている沖縄でもあります。過の戦争に関して私の思いは「沖縄ではまだ戦争は片付いていない」ということ。しかし、むら咲むらの体験で出会った指導員さん、
あの美ら海水族館で見た元気なイルカ達やスタッフの方達、そして忘れ得ぬ感動をくれた「スーパーエイサー」のメンバーの皆さん、またひめゆりの塔で
静かに語っていた女性。皆 前を向いて明るかった。
私はもとより、家族もここで元気をもらった事は間違いないです。長男は初日から 「お家帰る キャンプ行く」 を連発していたので正直辛かったのかな、
とも思いますが、彼も彼なりに楽しんでくれた事と信じましょう。
できれば今度は無人島巡りやダイビングなど レジャーを兼ねた旅行でここ沖縄に来てみたいと思うMCヨッチャンです。
来年はどこに行こうか。
MCヨッチャン家『沖縄の旅2006』
長い時間お付合い下さいましてありがとうございました。MCヨッチャンのホームページへまたのご来訪 お待ちしております。
MCヨッチャン